2013年3月7日木曜日

四季

私たちは

仕事柄、様々な場所へ行く。

マイクロバスから変な音がするくらい

近所から遠方へと

とにかく色々な所へ行く。

振り返ってみれば、行った事の無い都道府県が

もう無くなってしまった。


そんな私の一つの楽しみが、公演先での散策である。

リハーサル前でも必ず出かける。

会場付近に城があれば尚更だ。

公演直前の城攻めは自殺行為とわかっていながら

どうしてもやめられない。

コンサート会場の横が山城だとゾッとしたものだ。

城はさておき、

自身がこれから演じる、場所を、空気を、人を、(城を)、季節を

全身で感じたいのだ。

光陰矢の如し


思えば面白くもおかしな生活である。

楽器をトラックに積み、高速道路を走り目的地へ。

会場に着くと楽器をトラックから降ろし

丸一日かけて公演のセッティング。

夕方になると衣装に身に纏い精魂込めて太鼓を打つ。

興奮冷めやらぬまま楽器をトラックに再度積み込み

次の会場近くの宿舎へ。

「旅の生活」とは言うものの

ホテルとホールとコンビニの3カ所しか行かなかった

なんて事がよくある。



充実の故か、移動生活の故か

季節を感じる間もなく年を重ねる。


春が来た、梅だ桜だ花見だと浮かれていたら

気がついたらスキー板の上に。



まさに光陰矢の如し、一年は一瞬である。


会いに行く季節


そんな生活を長年続けたせいか、

どうやら無理矢理に

季節を感じに出歩く習慣が付いていたようだ。



最近いらぬ心配をしてみたりする。

それこそ「四季」という感性が無くなったら

日本人らしく無くなるのではないかと。


日本ではありがたくも

新聞雑誌広告が季節の変化を教えてくれる。

桜名所情報、スキー場情報、海開き情報

ただ私はこのような方法で季節の変化を知る事を

「後手に回る」と勝手に言っている。


季節の変化を知るのと季節の変化を感じるのとでは

大きく意味が異なるからだ。


まとまりの無い文章になったが、


日の傾く方向、木々のつぼみ、空気の湿り

そういった細やかな一つ一つから

四季の移ろいを感じとる。

そんな、

外見とは裏腹な繊細な感性を

身につけたい


たった今横浜から帰った

宇野寛至でした。